映像制作のボーダーレスの秘密

岡本 良太
岡本 良太
ご当地情報・西日本編
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歴史(オカルトも)好きな方に―京都の『明智藪』【前編】

先日、久しぶりに京都へと。

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JR京都駅。訪れるたびに不思議に思う、京都駅の0番ホーム。なぜゼロなの?そして、ゼロがあるのに、なぜ『1番ホーム』は無いの?

何度か京都出身の方に説明していただいたことがあるのですが、イマイチ理解できてません…たしか1番ホームは貨物専用か何かでしたっけ?

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と、そんなことはさておき。

せっかく京都まで来たのだし、どこか観光名所を紹介しようかと思ったのですが、二条城や嵐山などの有名どころは、どこか他のサイトにお任せすることにいたしまして。

ここは元・関西人らしく、あまり話題に上らないような京都の隠れ名所を。

それでいて日本の歴史を大きく変えた場所でもある明智藪”を紹介したいと思います。

明智藪とは?

明智藪―「あけちやぶ」という読み方で正しかったはず。

京都で“明智”といえば、もちろんあの戦国武将、明智光秀のこと。

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光秀の子孫といわれている明智憲三郎さんが書かれた『本能寺の変 427年目の真実』(プレジデント社)と、それに加筆・文庫版化して4年後に出版された、この『本能寺の変 431年目の真実』(文芸社)で、ここ数年、にわかに再評価されつつある明智光秀の存在。

通説では、本能寺の変の後、羽柴秀吉との合戦(山崎の戦い)に敗れた光秀は、坂本城を目指しての敗走中、賞金目当ての農民に竹槍で刺され大怪我をし、部下の介錯で切腹。その亡骸は竹薮に隠されたとされています(諸説あるそうですが)。

光秀が切腹し、その亡骸を隠したとされる場所、それが明智藪です。

伏見区 小栗栖小阪町へ…

市営地下鉄に乗って、京都は伏見区の小栗栖小阪町という街へ。

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醍醐駅で下車。

いちおう、駅構内の案内看板には、

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さらっと『明智藪』について触れられているのですが。

ここから先の道中、明智藪への案内表示はほとんどありません。

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実は大昔に、一度このあたりまで来たことがあるのですが、その時は明智藪に辿り付く事ができませんでした。

スマホなんてなかった頃でしたし、しかも深夜に車で来たものだから、通りがかりの人に道を尋ねるわけにもいかず、細い道に入っていくこともできず。

今回は徒歩なので、ゆっくりと探すことができそうです。看板に書いてあった通り、とりあえずこの醍醐駅を出て西の方角へ。

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閑静な住宅街を、とにかく西へと歩いていきます。

心霊スポットとしても知られる明智藪

「本当にこんなところへ明智光秀が逃げ込んだのか?」と思ってしまう、

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静かな街。大きな団地もあったりして、なんだか平和な雰囲気。だいたい竹薮なんてありそうもないですし。

とりあえずは先ほどの駅の案内表示を頼りに、西へ西へと向かいつつ。

目指す明智藪には、日本史のターニングポイントになったような場所であるとともに、もう一点、気になるポイントが。

それは、強力な心霊スポットであるということ。

 

以前、僕が聞いた話だと、

雨の降る夜に明智藪に近付くと、光秀とその配下の亡霊たちが「落武者狩りが来た」と勘違いして逃げ惑い、風も無いのに竹薮ががさがさと揺れる。

竹を揺らすぐらいならあまり怖くはなさそうですが。なんといっても、あの織田信長を倒し天下を取った武将の亡霊です…返り討ちに遭う恐れもあるでしょう。

 

光秀が切腹を果たした場所の周辺だけ、今でも竹が生えてこない。

その場所のことを“ワタ出”と呼ぶそうです。ワタとはおそらく『腹わた』、内臓のことだと思います。

 

京都の街全体が史跡の宝庫であり、また、“あやしい”場所も多数存在しているので、おそらくはただ情報に埋もれてしまっているだけだと思うのですが。

京都に旅行してしてきた、という人たちから、これまでただの一度も「明智藪に行ってきたよ」なんていう声を聞いたことがありません。京都の観光ガイドブックなどにも、あんまり紹介されていないような…

この信号が目印

ずんずんと西の方角へ、まっすぐに。

やがて、橋が見えてきます。

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下を流れるのは山科川というそうです。

時期的なものもあるのか、水量は少なめですが、とてもきれいな流れ。

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この橋を越えると、ガラッと風景が変化します。写真を見てもらっても分かる通り、右側(駅側)は住宅街ですが、向かっている西の方角は緑がいっぱい。竹藪ぐらいはあってもおかしくなさそう。川を挟んで別の世界が広がっているような感覚。

渡月橋や一条戻橋など、京都の橋は単に川を渡るためだけのものではない、いろんな“役目”のようなものがあるようですが。この橋にも、もしかしたら…というのは考えすぎか?

ともあれ、この橋を越えてさらにまっすぐ行くと、

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突き当たりに『小栗栖牛ヶ淵』という交差点が見えてきます。

T字路になっていますので、この信号を左に曲がります。そして更にまっすぐ…

しかしこのT字路、写真では分かりにくいですが、現地に行ってみると、なんだかちょっと不思議な作りになっているんですよね。

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たとえば、右の方向(北向き)には、数十メートルの間だけ歩道らしきものがなかったりしますし。かなりクルマ通りの多い道路だし、すぐ先には民家などもあるというのに。

他にも気になるポイントがいくつかあるのですが、キリがないので割愛。T字路には『路殺』なんていうものもあると聞きますし(よそ者なので関係ないですが)、とりあえず明智藪を目指し、左側の道(南の方角)へと向かうことにします。

やっと標識が

信号を左に曲がって、そのまままっすぐ。醍醐駅を出てからもう30分近く歩いたと思うのですが、その間、『明智藪はこちら』というような案内板は一切ありません

歴史にも戦国武将にもほとんど興味のない僕でさえ、明智光秀の名前はよく知っています。そして、日本史を語る上で外せない、最重要人物の一人だということもよく知られているはずです。

そんな光秀の最期の地だというのに、なんという扱いの悪さよ…

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などと考えつつ歩いていくと、やがて『南小栗栖』というバス停が見えてきます。

この停留所の少し先が三叉路になっていますので、山側(方角でいうと西)へと向かう細い道のほうを選んで、さらにまっすぐ。

軽く勾配のある、閑静な住宅地の道を上っていくと、

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そこにようやく明智藪を示す標識が。

見落としてしまいそうなぐらい小さく、そして地味なものなのですが。

(つづく)

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