>前編はコチラ 歴史小説ファンなら一度は訪ねてみたいであろう場所の一つ、『巌流島』。
2015/11/04(水)
“炎のストッパー”津田恒実さんが見守る野球場(前編)
先日、中国地方での仕事から帰ってくる途中に、
山口県周南市の道の駅で一服。
近隣の観光スポットが紹介されている案内板を眺めつつ…
以前、『バリそば』の話をしたときにも書きましたが、山口県って、実は密かに温泉大国でもあるんですよね。
湯野温泉かぁ。ええなぁ。のんびりお湯に体を委ねたいよ。
こんなところもあるのですね。見どころいっぱいの周南市…
え!?
津田恒実メモリアルスタジアム!?
津田恒実さんって、あの元広島カープの“炎のストッパー”ですか!?
津田恒実さんとは?
若い方にはピンと来ないかもしれませんが、僕らより上の野球ファンならば、誰でもその名前、投球フォーム、浮き上がるような剛速球を憶えているはず。
元広島カープの、抑えの切り札だったピッチャーです。
この本も読みましたよ。(ちなみに本では“恒美”となっていますが、これが元々の名前だったはずです。のちに“恒実”と改名されました。)
敵チームからも愛される、明るいキャラクター。
なのに、一度マウンドに登れば鬼気迫る表情で150キロの剛速球を投げ込む。
全盛期のランディ・バースにも直球勝負、3球3振に切って落とし、「ツダはクレージー!」と言わしめた男。
たしか、ウォーレン・クロマティが書いた本にも、“津田は他の日本人ピッチャーと違って、逃げるような変化球など投げてこなかった。マウンドからこちらを睨めつけ、ストレートで勝負してきた”というようなことが書かれていたっけ。
大のタイガースファンですが、津田投手のことは気になっていましたよ。
オールスターでも大活躍していましたし。
それだけに、『亡くなった』というニュースを聞いた時には衝撃を受けたというか…ショックでしたね。
今でもよく憶えています。
あれも確か、1993年の、オールスター戦初日のことだったはず。
幼い男の子と奥様を残し、まだ32歳という若さだったんですよね。
野球場に向かう
あれからもう20年以上も経っていますし、しかもここは山口県ですし。
とりあえず車で向かってみましたが…
うーん、ここでしょうか?津田さんの名前は書かれていませんが。
駐車場に車を停めて敷地内に。
緑に囲まれて自然が豊か。場所も、田舎というほどではありませんが、街の中からは少し離れた場所にあります。
広い空間、ノンビリとした雰囲気を味わいつつ歩いていくと、
遠くに野球場ならではの照明らしきものが。
こういうのを見ると、少しテンション上がりますよね。野球ファンなら分かってもらえると思います(笑)
少し早足で近付いてみると、
おおっ、間違いない!野球場です。しかもバスが何台も停まっている…高校野球の公式戦でもやっているのでしょうか??
グランドの脇、フェンスに沿って歩いていくと…
やっぱりここで合っていたみたいです。しっかりと書いてあります。
『津田恒実メモリアルスタジアム』!!
津田投手ゆかりの野球場
本を買って読むぐらい、好きな野球選手の一人でもあったのですが、
そこはせいぜい阪神ファンの限界といいますか・・・
津田さんの名前を冠した野球場があったなんて、今日の今日まで想像もしていませんでした。
球場に沿って、正面ゲートに向かう…
本当に、緑がいっぱいで気持ちいい空間です。
敷地内には野球場だけではなく、陸上競技のグランドや体育館らしきもの、そして芝生の広場などもあったりして、『総合運動公園』といった感じの造りになっています。
植え込みのそばのベンチに座っていた、この近くにお住まいらしきおじいさんに、この野球場のことを尋ねてみました。
津田恒実さんが偉大な野球選手なのは知っています。でも、なぜここに、彼の名前が付けられた野球場があるのでしょう?
おじいさんはボソボソと、かなりキツめの訛り交じりで、
「津田はこの街の出身。このあたりで生まれ育った。しかも彼は、高校時代に、この球場で完全試合を達成したそうだ。」
えーっ!マジですか!?