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織田信長が神様!京都の『建勲神社』(中編)

>前編はこちら<

 

本当に見事な鳥居。どっしり構えた風格、

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笠木の反りも美しい、絵に描いたような明神鳥居。高さは7.2m、幅5.5mあるそうです。

他の鳥居とは少し違う雰囲気を感じてしまうのは、

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朱塗りも何もされていない、素木(そぼく)のままだからでしょうか?

間近で見ると、

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木目もそのまま。まさに質実剛健。派手に装うこともなく、ただひたすら信長公の神社を守っている様です。

実は平和の神様

さっそく鳥居をくぐらせていただき、建勲神社の境内へと。

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手入れが行き届いていて、とても清潔な参道です。

少し歩くと目に入ってくる、この石碑。

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階段を上り、近付いてみると『大平和敬神』の文字が。

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建勲神社は、『国家安泰・万民安堵』―― 天下を統一し国内に平和をもたらせ、民衆の安らかなる生活を取り戻した織田信長公の功績を讃えるものとして、明治天皇のご下命によって建てられたものだそうです。

織田信長がご祭神ということで、てっきり勝負事や勝利にご利益があると思っていたのですが、どうやらここは平和を願い祈るための神社のようですね。

かつてはこの石碑(神石とよばれているそうです)の場所に本殿があったそうですが、今は別の、高い場所に移されているようで、

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本殿に向かうには、こんな感じで階段を…けっこうキツいです(苦笑)

平和の神様として祀られているのも驚きですが、そもそも、第六天魔王を自認し、比叡山の焼き討ちや本願寺顕如らとも対立するなど、「神も仏も信じない」イメージの織田信長が、ここで神様として敬われていること自体に不思議を感じる方もおられるのでは?

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しかし、一方で信長は父親の信秀とともに親子二代に渡って伊勢神宮などの寺社仏閣に莫大な寄進をしたり、青年期の教育係が沢彦和尚というお坊さんだったり(天下布武という言葉を信長に教えたのはこの和尚さんという説も)と、実は神仏を嫌っていたわけではなく、むしろ信心深い人物だったとも言われています。

それに、織田家の先祖は神社に仕える神官だったという説もありますし…

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などと、織田信長公にまつわる歴史ミステリーに思いを馳せているうちに、社殿らしきものが見えてきました。しんどかった~!かなり長い階段でしたので、もしここにお参りされるならば、ぜひとも歩きやすい靴を履いていきましょう!!

清々しい神社

建勲神社は船岡山(ふなおかやま)という小さな山のてっぺん近くにあって、実はそう大きな境内を持つ神社ではありません。作りも質素というか。

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しかし、そのほうがむしろ神社としての機能美を感じるというか。シンプルで無駄がなく、そして清潔感に溢れています。

傍らの石碑には、

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人間五十年~の『敦盛』の一節が刻まれていて、歴史ファンそして信長公フリークなら間違いなくテンション上がってくることと思います。

本殿に向かってさらに足を進めていくと、

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本殿から見て右手、自分からは左手側に、これは手水舎でしょうか?

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やはりそのようです。参拝する際に手や口などを清めるところ。

近付いてよく見てみると、

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水盤には木瓜紋が。『織田木瓜』と言われることもある紋です。

手と口を漱ぎ、正面に向かうと、

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そこに、あれがおそらく拝殿でしょう。

左右を護る狛犬にも、

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しっかりと木瓜紋が刻まれていて、信長公の神社にお参りに来たんだなぁという実感がしみじみと涌いてきたりします。

(つづく)

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