>【その1】はこちら< パウダー状になったショウガ粉末でも作れないことはないそうですけ
2015/04/30(木)
【バンドブーム】 インディーズ御三家
バンドブームの歴史について紹介していますが、今回は少し遡って『インディーズブーム』についてのお話です。
70年代~80年代にかけて、楽器やアンプ、スピーカーなどに加えて、録音機材等の周辺機器の低価格化も進んでいきました。
これまではメジャーなレーベル(レコード会社)に所属しないと作ることが出来なかった『レコード』も、自分たちでお金を工面すれば、どうにか製作できる時代に近づきつつあったのです。
ノートパソコン1台で録音からCDプレスまで完了できる現在とは違い、メジャーデビューを待たずに、ひとまず自分たちの音源を作ることができるというのは画期的なことでした。
1981年に『ザ・スターリン』の事実上の1stアルバム“trash”は自主制作した1000枚のレコードを完売させ、シーンに衝撃を与えます
数々の音楽自主制作グループが立ち上がり、それらは「メジャー」に対する「インディペンデント」な存在ということから、やがて「インディーズ」と呼ばれるようになります。
とはいえ、それはまだ世間を巻き込むような巨大なムーヴメントではなく、極めてマイナーな、サブカルチャーの中のいちジャンルとしての存在でしかなかったのですが、ここで画期的な出来事が起こります。1985年、NHKがテレビドキュメンタリー形式の番組として「インディーズの襲来」という番組を放送。
それまではごく限られた人たちの趣味でしかなかった「インディーズ」が、一般大衆に認知されるきっかけとなりました。
今回はその番組の中で取り上げられ、“インディーズ御三家”と呼ばれるようになった3バンドを紹介していきます。
ラフィンノーズ(LAUGHIN’ NOSE)
【概要】
NHKの番組「インディーズの襲来」で中心的に扱われたパンクバンド。大阪で“AAレコード”というインディーズレーベルを立ち上げ、関西ハードコアシーンの中心バンドとなっていた。
メジャーデビューを控えた1985年には新宿アルタ前でソノシートばら撒きを敢行、1000人を超えるファンを集める。デビュー後も快進撃を続けるが、87年、日比谷野音でのライブ中にファンが将棋倒しになり、死者3人、重軽傷20人の大事故となる。責任を取りバンドは活動休止に。
復帰後もメンバーチェンジなどさまざまなトラブルに見舞われ、91年に一旦は解散の憂き目に遭うも、95年にかつての中心メンバーが再会しバンドは復活。現在もインディーズ・ハードコアシーンの重鎮として活躍中。
Laughin’ Cunts Up your Nose (1995年)
95年の再結成後にインディーズでリリースの、セルフカバー・ベスト的なアルバムです。かつての懐かしい名曲がほぼ揃っています。
ラストにはもちろん“GET THE GLORY”が!
昔、ラフィン聴いてたっていう大人も、これから聴きはじめようかという少年少女も、まず買うべきはこの1枚です。
A SAIN REVOLUTION (1996年)
ラフィンノーズはライブバンドなので、ここはライブアルバムを紹介しようかとも思ったんですが…あえてコチラを。とても完成度の高いアルバムだと思います。
先に紹介した『Laughin’ Cunts Up~』とこのアルバムの2枚を聴き込めば、とりあえずはラフィンノーズのライブを、チケット代分は楽しめると思います。ラフィンはライブに参加すべきバンドです。ライブハウスで一緒に盛り上がりましょう!!
THE WILLARD(ザ・ウィラード)
白塗りメイクで海賊スタイル、“夜”をテーマにしたメロディアスなパンクロック。のちのビジュアル系にも大きな影響を与えたバンドである。
テレビ番組「インディーズの襲来」では、ラフィンノーズとともにシーンの2大巨頭的に扱われた。流通が確立されていない当時に、インディーズでリリースしたアルバム『GOOD EVENING WONDERFUL FIEND』は、破格の1万枚セールスを記録。現在もバンドは精力的に活動中。
GONE WITH THE WIND(1989年)
ベスト盤は何枚かリリースされていますが、バンドブーム、インディーズブーム時代を考えるならばコレがオススメです。
当時のシーンには、悪く言えば「上手くなくても勢いがあれば良し!」という風潮がありました。
が、ウィラードのこのアルバムを聴けば、彼らが“御三家”の一つになった理由が分かると思います。インディーズとしては圧倒的な上手さ、アレンジ力、バンドサウンドとしての完成度の高さ…今聴いても唸ってしまうベスト盤です。
GOOD EVENING WONDERFUL FIEND (1985年)
先にも書いた、1万枚売り上げ(トータルして2万枚とも)た、インディーズシーンを象徴する1枚です。当時のバンド好き、音楽好きは必ず聴いたアルバムのひとつです。
何度も再販されていますが、2006年にリリースされた紙ジャケ+DVD版がオススメかも?
有頂天 (うちょうてん)
『インディーズ御三家』の中では、正直なところ一番評価の低かったバンド。だが、その後のJ-POPシーンに与えた影響という意味では最重要なバンドでもある。
中心人物だったのはボーカルの「ケラ」。現在のケラリーノ・サンドロヴィッチである。ケラは自身のバンド『有頂天』、劇団『健康』(のちのナイロン100℃)のほかに、『ナゴムレコード』という自主制作レーベルを運営し、ここから『筋肉少女帯』『人生(のちの電気グルーヴ)』『たま』などなど、数多くのメジャーなバンドを輩出することになる。
AISSLE (1987年)
メジャーデビュー後のアルバムです。ケラ自身が「有頂天のサージェント・ペパーズ」と広言していた名盤。個人的にも人生の中で一番聴いたアルバムだと思います。
“愛する”というアルバムタイトル通り、一風変わったったラブソング集。ちなみにこのアルバムに収録されている女性ボーカルの声は、当時人気アイドルだった勇直子。この方は後にJUN SKY WALKER(S)の宮田和弥と結婚しました。
BOIL (1988年)
ライブアルバムです。スタジオ録音のベスト盤も何枚かリリースされていますが、ロックでパンキッシュなところも有頂天の魅力だったので、こちらを選びました。
いきなり代表曲ともいえる“心の旅”から始まり、ライブでは定番だった“千の病をもつ男”や“七色シャックリ”なども収録。MCがほぼ収録されていないというのが、今となっては少し残念なところなのですが、その分彼らの音楽的魅力が凝縮された一枚ともいえるでしょう。
いかがでしたか?
なお、この当時、ケラは雑誌のインタビュー等で、ラフィンノーズのことをしきりと持ち上げ、有頂天といっしょに映画を撮るという話まで持ち上がっていましたが、ウィラードのことは何故かボロカスにコキ下ろしまくっていました(遠まわしにではありましたが)。
そして、2013年までラフィンノーズのドラマーは元ウィラードのKYOYAが務めており、こちら二組の関係は比較的良好だったということでしょうか?
“御三家”と呼ばれ、一括りに扱われてはいましたが、三組の関係は微妙であり、また絶妙でもあった、という気がしますね。
それではまた!